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歴史




 ハングルを拒絶し続けてきたのは韓国人だった

 「日帝36年の支配で自国の国語を消滅しようとした」と朝鮮人(韓国人)は嘘を垂れ流してるが、日本は国語を消滅しようとしたどころか、ハングルを普及させ韓国独自の文化を保護し近代化教育を施していたのです。それどころか自国の国語を放棄したのは朝鮮人(韓国人)でした。左の産経新聞平成22年8月18日の拓殖大学教授のコラムにもあるとおりである。

 朝鮮人(韓国人)が漢字使用をやめてハングル使用に至った経緯についてごく簡単に説明すると以下のようになります。

 殷代に甲骨文字が生まれ、そして甲骨文字は春秋戦国時代に漢字へと進化しましたが、この時点ではまだ朝鮮半島には文字は存在しませんでした。

 朝鮮半島には「韓語」という朝鮮独自の古代語が存在していましたが、しかし中国で発明された甲骨文字が漢字へと変化・進化を遂げ、漢の時代に武帝により朝鮮半島に4郡を設置した事で漢字・漢語が流入したのですが、韓語と漢語は全く異質のもので、漢語・漢字が流入した当時は使い難かったのです。

 朝鮮史で最初に確認出来るのは衛氏朝鮮時代ですが、しかし使われ始めたと言っても漢字は史書の年代記、布告、公文書、法廷の判決文、碑文、科挙、教育に至るまで支配者層側の公用語として使われたのであり、賤民などの被支配者階級には全く広まらなかったのです。

 新羅時代は「郷札」という漢字の音と訓とを巧く応用し表記した文字があり、例えば新羅王の名前を「儒理尼師今(ユリニシカム)」、「訥祇麻立干(ナチマリカン)」などと記しましたが、ところが新羅が朝鮮半島を統一すると新羅語、高麗語、朝鮮語に漢字が混じってゆき、それと同時に朝貢冊封体制に組み入れられ、第23代国王の「法興王」や30代国王の「文武王」など支那風の呼び方に変わっていきました。

 つまり朝鮮人(韓国人)らが祖先の名を捨て、支那の名を名乗るようになり、そして15世紀に独自の文字であるハングルが作られても、どういうわけか朝鮮人(韓国人)はかえって病的なまでに漢字や儒教に傾倒していったのです。その中でハングルは排斥されていき、韓語の中に占められる漢語の比率はおよそ70〜80%になっていました。

 その後、日韓併合でこれまでの漢語に加え和語が韓語の世界に流入し、戦後、和語や漢語を排斥しようとしても言語では漢語と和語が無ければ言語の自立、独立が出来なくなってしまったのです。

 今の朝鮮人(韓国人)達は「日本が韓国の国語である韓語を消し去った」と言いますが、しかし日本もどこの国も韓語を消し去っていません。朝鮮人(韓国人)自らが外国語を流用し伝統母語である韓語を廃棄してしまったというのが実態なのです。

 さて李朝時代の1443年に、当時の王・世宗により「訓民正音」の28文字が開発されました。これがハングル文字です。

 2年後の1445年に祭祀・祝賀で歌う「龍尾御天歌」という建国叙事詩が作られ、続いて125章から成る一大長編詩が作られ、翌年の1446年9月に「漢語と韓語は違うので一般人には難しいからハングル文字を使用せよ」という文字政策が公布されました。

 朝鮮はアジアの中では独自文字開発が最も遅かった事もあり、日本仮名、西夏文字、契丹文字、女真文字、突厥文字、ウイグル文字、チベット文字、パスパ文字、アラビア文字、インドの梵字などのアジア世界各国の文字を参考にし、文字の書き順、組み合わせは漢字と同じ四角形にしたのです。

 朝鮮だけが独自文字開発に時間が掛かり過ぎたのは、支那への属国奴隷根性が根強く、事大主義に徹していた為に想像力が欠けていたからなのです。

 さっきも言いましたがハングルがせっかく開発されたのに相変わらず公文書は漢語で書かれていたのは鮮人の支那へ対する異常なまでの奴隷根性・事大主義から来るもので、3年掛けてせっかく世宗自らが考案した28のハングル文字を作ったのに拘らず、両班や重臣から猛反対されたのです。

 崔万理という反対者の一人が「倭や蒙古、チベットなどには独自の言語があるのはは野蛮な地域だからで、我らが独自の文字を開発・使用すれば、あいつら蛮族と同じになってしまう。その上、我らが支那さまを宗主国にして仰いでるから、新文字を開発し使用する事は支那さまに対する謀反であり、お怒りになられる恐れがある」という屁理屈でした。さすが奴隷根性、属国根性丸出しの民族性ですね。

 世宗が苦心して作ったこのハングルですが、第10代国王・燕山君により正音庁などに所蔵されている諺文口決はことごとく焼き払われ、更に104年学問の府である成均館が遊蕩の場とされハングルの授業と学習が禁止されたのです。

 こういったように燕山君の時代には正音書籍を燃やしてハングル使用を厳禁し。例えば誰かが正音使用してるのを知っていて告発しない場合まで罪とされました。次の中宗は1506年に即位するとすぐさま諺文庁までも閉鎖し、ついにとうとうハングルは完全に廃止されるに至りました。両班が宗主国の支那の文明にかぶれ、なんと自国の朝鮮文化を蔑んでいたのです。

 しかし19世紀に入り欧米列強がアジアを武力にて植民地化していく過程で日本はアジアでいち早く近代化を成し遂げたのですが、しかし朝鮮半島は相変わらず事大主義で支那を宗主国と崇め奉り、従属関係を保ち続けていたのです。

 このまま行けば朝鮮半島が確実にロシアの植民地になり、次は日本がロシアの脅威に晒される事になるわけで、日本としては朝鮮半島が支那から自立し、独自で近代化してほしかったのですが、李朝末期は開化派による近代化は失敗に終わりました。

 自力で近代化を成し遂げられない朝鮮半島を日本に併合する事により朝鮮半島を近代化に乗り出す事が可能になったのです。

 日韓併合後に朝鮮総督府は半島の近代化に努力し、国語教育にも力を注ぐようになるのですが、実は19世紀末から福沢諭吉の提案により漢字・ハングル混合の文章形体を使用し始めたのです。ちなみに当時の韓国人の識字率は6%程と言われています。

 初めて漢字・ハングルの混合文が使用されたのが明治19年の「韓城週報」という新聞で、その後は学校教育に組み込まれて一般に普及しました。日本が韓国の文化を保護していたのであり、すなわち鮮人が言う「日帝36年の支配で韓国国語が奪われた」というのは妄言に過ぎないというのが、おわかりになると思います。

 自らのオリジナルで作ったハングルを蔑視し使用拒絶してたのは当の朝鮮人(韓国人)たちなのです。

 戦後に韓国では漢字の非効率性、非大衆性が指摘されハングル国語純化運動が推進されたのです。


 ●昭和23年…李承晩大統領による「ハングル専用に関する法律」が制定され、暫時的に漢字を撤廃する路線を決定。

 ●昭和34年…臨時漢字制限法令が発布され、昭和40年からは公文書に一切の漢字使用を禁止。

 ●昭和42年…朴 正煕大統領の下で「漢字廃止五年計画」を指示

 ●昭和45年以降、総理大臣訓令で漢字使用が前面禁止に


 と漢字を廃止した為に、同音異義語の氾濫が起き、抽象度が高い概念語の理解力と利用率の低下、韓語の言語伝達能力の低下を招き、世界で朝鮮人は最も読書率の低い国民性になったのです。

 漢字使用放棄が韓国社会を混乱させ、伝統文化を放棄したことで国にとって大きな損失になりました。2000年以上も漢字を愛し続けてきた朝鮮人が容易にその伝統文化を簡単に棄て去る事が逆に理解しがたいところです。

 漢字は同音異義語を正す為の便利なツールです。しかし韓国の戦後教育よって自ら作り出したものしか認めず、自らが偉大だという教育を推し進めた為ハングルという融通の利かない文字に統一されることになったのです。






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